4月1日に発表された元号「令和」が5月から始まりますね。
あともう少しで終了となる「平成」を個人的に振り返ると、ネット情報の流通急拡大により、様々な取捨選択の幅が広がり、個が強調される時代だった気がします。
さて「令和」は一体どんな時代になるのか楽しみです。
さて今日はセクショナリズムについて書きたいと思います。
組織が大きくなると商流をより効率的に回していくため、役割を細分化し部門や部署を作り、それぞれの質の「深さ」を追求していく形になっていくのが一般的です。これは企業に限らず、どんなコミュニティにでも行われることですね。
一方で、自分の役割以外については、他の誰かにお願いすることになりますから、自然と注意が薄くなっていくのが性です。自分の役割の範囲の中ですべてが完結すればそれでも問題はないのですが、組織である以上、それはありえません。
たいがい、役割間のつなぎの部分で課題が発生した際に、お互いに押し問答で責任のなすり合いとなります。これは例えば夫婦間の関係でも同じですね(笑)。そうです、原因はお互いに対する無関心、かつ利己的になりやすい環境やマインドが起因しています。典型的なセクショナリズムの形です。
解決方法を考えた時、一番きれいな形は、一段上の目線を作ることー それはこの状況を組織というくくりで見た時に、夫婦というくくりで見た時に、望ましい形なのかという視点に立って考えることでしょう。その視点で見た時に今目の前にある争いは果たして合理的なものなのか、自分に都合よく解釈していないかどうか、これは言うまでもないでしょう。
一方で、自分の役割はしっかり果たさないといけないという視点が強すぎると、全体ばかりを優先するわけにはいかないー、その気持ちも理解できますし、上記のような話も理想的ではありますが、掛け声だけでは実現困難になる可能性は高いでしょう。
そのため企業単位で考えるならば、部門間協力が起こりやすくするための環境作り/ルールが必要です。その点は自社の風土に合う形を模索することになると思いますが、長期的な目線で考えるならば、「相互信頼」をいかに醸成するかを考えて設計することをお勧めします。(時間は相応にかかります。)
「相互信頼」は「相互理解」。
つまりお互い相手にどれだけ関心を持ち知っているか。
ご自身を振り返っていただければ分かると思いますが、仮に自分の親しい友達が本当に困っていれば、行動するかどうかは別にしても自然に手を貸したくなる心情になるでしょう。
では、その親しい条件は何かといえば、どれだけ相手と同じ時間を共に過ごし、思いのやり取りを交わしてきたかの積み重ね、相手に対する安心感だと思います。これは仕事観だけでなく、より色々な観念で持っていると良いでしょう。
この環境を意図的に作るためには、まずは種類にこだわらず、コミュニケーションの場を社内戦略の一つとして企業側がより多く用意し、お互いを理解するための環境作りに重きを置くという文化を作っていくことに他ならないと思います。制度としてたくさん回数を重ね、組織として定着させていくことが重要です。
社内の通路ですれ違いざまに、他の役割の人とちょっとした立ち話がそこかしこ・・・
なんていう形が理想的にですね。